IMG_0668(以下はこの夏、ご主人と息子さんとともに岩手での支援活動に参加してくださったフルタ恭子さんが、この活動に参加することで受けた取り扱いと恵みを分かち合ってくださったものです)

私の夢は、自分の好きな街に理想の家を建てて、より快適で心満たされた日々を送りたいということ。自分の家以外で眠れるのは実家くらい。快適な高級ホテルでさえも落ち着けないだろう。そんな私がミッショントリップに行けたのは奇跡に近い。神の業がぎっしり詰まった東北ミッショントリップの証しを皆さんに分かち合えるこの貴重な機会に、心から感謝している。

Dear Heavenly Father, Please speak to all of us through this testimony. In Jesus name I pray, Amen.
 
 本当はあの映像を目の当たりにした2年前にすぐに行きたいという想いに駆られていた。カトリーナの時も、他国での自然災害の時もこんな思いにはならなかった。どこからか湧きだしたこの思いは私にとって、とても不思議なものだった。なぜなら私は日本への苦手意識が強いから。
 
 私の教会からも2回にわたって50名ほどの人々が東北へ送られた。でも私の東北ミッショントリップは実現されなかった。ある人にやすこは日本語が話せるんだから君こそ行くべきだよ、と言われれば、行けない私は罪悪感を覚えさせられ、またある人にあなたは腰に持病があるからやめたほうがいい、と言われれば、やっぱり私はミッションむきではないな、などと思った。そしてそのうち、東北ミッショントリップのことが話題にのぼる回数は減っていき、私の中のその想いも存在感をなくしていった。

 物心ついた頃からか、日本の文化や言葉に疑問や怒りを抱えて過ごした私は、心臓は鼓動を奏でていても、心は躍っていなかった。いつも自分の居場所は他にあると探し続けていた。そのうちにどういうわけか渡米することになり、いやいや過ごしていた土地に別れを告げた。しかしそのわだかまりは心を離れずに癒されるのを待っている事を認め始めた。なぜこんなにも私は祖国を受け入れられないのだろう。日本を離れ25年目にして、ついにこの疑問のひもを解く機会が与えられた。私は密かに東北ミッショントリップの中に解決の糸口があると期待していた。
  
 この春、クリスチャン生活に行き詰まりを感じていたわたしは、The Purpose Driven Life という一日一章ずつ取り組むワークブックを、主人のスコットとやってみた。毎日夜9時から40日間やり抜いた。ある土曜日、その日の章で本はこう訴えていた。場所は遠くても近くても、老人も若者も、ミッショントリップにまずは行け!と。その夜、スコットと私は、よし、じゃあ行こう、と心に決めた。でもどこへ? 二人で神にお伺いをして眠りについた。次の朝、教会へ行った。すると、東北ミッショントリップに行きたい人は連絡をくださいというお知らせの発表があった。神様って凄い。これが祈りに対する答えだと、スコットも私も直感していた。神はどんな祈りにも、必ず答えを与えてくれる誠実な人。そしてそれに必要なものは何でも与えてくれる。
 まず飛行機代を調べてほしいとたのまれた。その数字を見て、本当にいけるのかなぁと頭をかしげずにはいられなかった。私たちは祈り続けた。それと同時に、奉仕活動の受け入れ団体の情報を基に、受け入れ先を探し始めた。すべての団体の担当の人と電話で直接言葉を交わした。佐々木先生と話をしているとき、私は喜んで受け入れられている気持ちがした。岩手で奉仕することになるのかなと感じた。
 
 次に岩手のどこに仕えるかを決めた。いまひとつ明確な手応えがないので、流れに沿ってみることにした。薦められたのは大船渡というところだ。引き続き日程について祈っていると、こんな出来事があった。それはある金曜日のことだった。通常の飛行機代より4割引のチケットが、その週末限定で出されるということが知らされたのだ。しかもその特別期間出発日は、スコットの仕事のスケジュールにも、息子のマーヴィンの学校のスケジュールにもぴったりのもの。神の業はなんて精密なのだろう!
 
 2年前、どこからともなく湧き出たひと雫の想いは、湧き水のように静かではあるけれど、確実に流れを営んでいたらしい。その流れはいつの日か、私の心の中の角張った岩のその角を丸め、岩から石へ、石から小石、それを砂へ、その砂は塵となり、その水の営みはやがて完全に塵を洗い流して、ついに私の心を自由にしてくれるのかもしれない。そんな希望を持って、岩手の人々に奉仕するというよりも自分のわだかまりのなぞ解明のために、神に背中を押されながら私のミッショントリップは、確実に最終準備段階へと移っていった。
 
 実家の横浜から大船渡への行き方を調べて唖然とした。大体、岩手がこんなに遠いところとは誰も教えてくれなかった。しかも大船渡までの電車がまだ復興していないとは!すると大船渡で仕えているリナが盛岡まで車で迎えに来てくれるというメールが来た。助かる。それでも二時間か。車に弱い私は車酔いが心配だった。でも、どうやら本当に私はミッショントリップに行くことになったらしい。
 
 6月11日火曜日午前10時、盛岡駅で迎えを待った。しばらく待ってから公衆電話を探し、電話をしたが留守電。メールをしたが返信は無し。盛岡駅にはもう一つのタクシー乗り場があるとわかり移動。でも会えないので2つのタクシー乗り場を2往復してみた。バスで大船渡に行こうかとも考えた。でも受け入れ先が準備できていないかもしれないと思ったのでやめた。

 土地勘もなく携帯から通話はできない。メールが使えるのと言葉が通じるのがありがたかった。頼るのは神とわかってはいても、サタンの罠にはまっていたらしい。この精神的不快感から早く解放されたかった私は、“もうこれは横浜に戻りなさいっていうことだ!” などと、とにかくこの状況から逃れるためにこんな提案をスコットに持ち出した。サタンらしい考えだ。イライラしているときの声は、神のものでないのはわかってはいたけれど、どうしようもなかった。神よ、私たちはどう動けばいいのでしょうか?やっと祈れた。それくらいサタンの邪魔はしつこかった。すると佐々木先生のメールアドレスがあることが思い出された。それと同時に8歳の息子、マーヴィンがお腹すいたと言う。気づけばもうお昼ご飯の時間。お昼ご飯を食べることにした。横浜から4時間かけてせっかく来たんだもの、せめて岩手でしか食べれないものを食べて帰ろう!とわくわくしてきた。私は食べるのが大好きだ。すると、スコットもマーヴィンも口を揃えてマクドナルドが食べたいという。私は完全にふてくされて、すべてをあきらめたかのような気持ちになってみた。それは自分の考えでどうにかしようとする変な努力をやめるよいきっかけとなってくれた。

「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」(箴言3:5-6)

 これは私が生まれて初めて覚えた聖句である。というかこれしか覚えていないのだけれど。神様は本当に凄い。お昼ご飯を終えると佐々木先生からメールが入っていた。続いてリナからも連絡が入ってきた。こうしてやっと私はリナと出会えた!神は多分にとても面白い方法で私たちを導いてくれる。リナと私の間で日程の食い違いがあったらしく、大船渡での奉仕が宮古というところに代わった。結局神はわたしたちをこんな方法で宮古へと導いてくれた。神様ってなんとお茶目なんだろう!私は神様がもっと好きになった。
 
 山田線は1時間に1本、しかも宮古まで2時間の道のり。さらに何と電車はたった今出発してしまったばかり。とほほ。でも山田線が盛岡駅を出て数分で私になんともいえない幸福感が訪れた。I felt how blessed I am… 私の瞳はきっと3歳の子供に負けないくらいキラキラ輝いていたであろう。窓の外の美しさに魅了されていた。神はなんて美しいものを創られるのだろうか。心の渇きが潤されていくのが感じられた。そしてこのなんとも形容しがたい電車のリズム。私は山田線がすっかり気に入ってしまった。まさに、私は今までの頑張りがここですべて報われたような気さえした。

「主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。」(第一サムエル26:23)

 私は2年前から東北の人々に会いたかった。そして仮設住宅の方々に会いたかった。その想いはとても大きくなっていた。だから、岩手で会った人々に会えただけでもとても報われた。
 毎日違う仮設を訪れ、そこの人々と数時間共に過ごした。そしてかつて仮設に住んでいたが、家に住み始めた人を訪問する機会も与えられた。何をどうしていいのかさっぱりわからなかったけれども、ものすごく楽しいひと時の連続だった。私に何かできたのだろうか、それは定かではない。だたはっきりしていたのは、私の心は本当に満たされていたということだ。神は人々を用いて私にさまざまな恵みを与えてくれていた。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。——主の御告げ。——それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。わたしはあなたがたに見つけられる。」(エレミヤ29:11-14)

 本当はこの聖句を私の出逢った方々全員に贈りたかったけれど、その機会は与えられなかった。今思うと、神はやっぱり私に必要なことのみを与えてくれていることに感謝。私自身福音を聞く以前に体験した不快な味を、宮古の人々にも味合わせてしまうところだったかも。後日そう気づかされたとき、はっとした。そう思うと聖句を贈ることができなくてよかったと胸をなでおろす。
 
 私が福音を知ってみよう!と聖書を勉強する以前は、神の愛よりもクリスマスの時期に銀座で見かける献金活動のほうが、私の知っているキリスト教だった。アメリカに来てからもあまりいいイメージがなかった。キリスト教信者でない人は間違っているとか、劣っている、というような気持ちにさせられることが多かったからだ。以前、牧師になろうとしている男性信者に捨て台詞を吐かれたこともある。死んだときに地獄に行って初めて知るがよい、とでも訳そうか。死後より生きている今の方が大切な私には、地獄も天国も興味はなかった。そんな私も福音を知った今は、いったいキリストなしで今をどう大切に生きられるのだろうと神にひざまずく。地獄も天国もこの世も三点セット、そんな風に捉えている。あーそうか、心が躍っていなかったあの日々は、日本のせいなどではなかったのか! 
 
 確かに日本で福音を聞く機会は一度もなかった。十字架をたくさん見かける横浜でもただの一度もなかった。そのうちのひとつの教会は伯母と伯父の家への途中にある。私が生まれ育った家から車で10分もかからない。その教会のある長く急な16号線の坂は、子供のころ週に最低一回は車で下った坂だった。

 宮古へ来る2日前、その日はバスで伯母と伯父を訪ねた。あの急なカーブにある白い教会はまだあるだろうか?6年前に洗礼を受けてからも2回くらいここを通ったが、すっかりカトリック教会だと思い込んでいたので気に止めなかった。でもその日はいままでの記憶にはない看板が目に入った。その教会の名前が書いてあった。プロテスタントだったんだ・・・、そうわかったら涙がでてきて、私は人目も気にせずその気持ちを抱きしめた。そして、宮古に行ってわかったことだが、その白い教会の牧師と岩塚先生は知り合いだそうだ。神の計画に偶然はない。時空を超えて遠くはなれた点と点が線になったような瞬間だった。私は幼いころ、その教会の十字架がずっと気になっていた。車で通り過ぎる間、じーっと車窓から眺めていた。実はあんなに昔から待っていてくれたんだ。神様は忍耐強い。私をあきらめないで待っていてくれた、そんな大きな愛を感じた。 
 
 神の愛を知った今はあの男性信者の福音を伝えようとしてくれたその熱意に共感でき、感謝している。宮古の人に“福音があるから大丈夫だからね”と私は伝えたかったんだと思う。でも、福音や聖句の説明よりも、その人々の側に立たせてもらうことのほうが大切だったのかもしれない。あの方々に起きた3月11日のことは、私には到底背負えないことだけれども。
 
 きずは時間がたてば癒されるものでもなく、忘れ去られるものでもない。私はそれを受け入れて、痛みを感じてあげて、理解して赦して、初めて癒されるものと思っている。私の心のわだかまりのように、長年放って置いても悪臭を放つだけだ。私は宮古で、意外や意外、自分で思っている以上に私の心はそのわだかまりによって傷ついていたことに気づかされた。これは、仮設での人々とのふれあいの中で神が明かしてくれたことだった。その後、絡まった毛糸がスルスルとほどけるように、ゆっくりではあるけれど、でも確実にいろいろなことが明かされ、アメリカに戻ってきた今も順調に癒しの過程を辿っている。そして神からの恵みはさらに続いた。
 
 お孫さんをあの日に亡くされたらしいある方は、マーヴィンを見ると半分涙目になりながら、触ってもいい?と手を伸ばされた。とても恥ずかしがり屋なはずのマーヴィンなのに、照れくさそうにその方の手を握っている。しかも嫌々ではなく、光栄です!とでもいうような、でも照れくさいといった表情。母の私からすると信じられない光景であり、また、とても神様を近くに感じた瞬間だった。私は神を近くに感じるのが大好きだ。他のある方は2年前、当時、世界、国内各地から多くの人がボランティアに来てくれたけれど、素直にその親切を受け入れる気持ちになれなかった。でも今は本当に心から感謝をしていると告白してくれた。さらにその方は、朝、ラジオでクリスチャンの番組を聴いているといわれるではありませんか!鳥肌がたった。私は神に叫ぶ。世界中の人のこころに福音が響き渡るように!と。

 毎日信じられない速さで時間が過ぎ、とても祝福に溢れていた。それでも正直、5日間という期間限定だったからこそ私にはやり通せたと思っている。集団生活が苦手な私には本当に簡単ではなかった。でもそれができたのも、岩手で出逢った神に仕える人々がいたからだ。彼らはどうやったら自分の家も場所も持たず、平日はそれぞれの活動地で過ごし、週末は盛岡に移り、毎週、毎日、様々な場所から訪れる人々を迎え、ある意味宿主的な役割もこなせるのだろう。それぞれの教会で神に仕える方々も同じ。そしてシンガポールからのボランティアの方々の私心のない(selflessな)姿勢。形容することばがみつからない。

 果たして私はどうだろうか?自分を観察してみると、私が一日の中で自分の事にかける時間の長さに自分自身びっくりした。私っていつも自分のことで忙しいんだな。もっと神に委ねられればいいのに。Selflessにはほど遠い。だからこそ、集団生活が苦手なのだろう。でも驚いたのは、10人で1つの家に住んで、10人で1つのトイレとシャワーを共用する不便な生活なのに、不思議と心は満たされていたこと。

Even though I’m far from being perfect, I feel perfectly complete in Christ.

 岩塚先生に祈ってもらい、結局私は当初の予定より一日延ばし、宮古に5日間滞在にすることとなった。しかもさらにもう一日盛岡の教会で過ごした。信じられない!快適で便利な街に理想の家をもたなくても、私は心満たされた日々を過ごせるんだ。

未完全な私でも、神といるときの私は欠けたところがない気持ちになる。

これが東北の旅での一番の贈り物だった。それから神はさらに、私に新たな夢を与えてくれた。

私は、この6日間で出逢ったすべての方々といつかまたあいたいと心から願う。
できれば永遠の神の国で。
                                           

8月26日 2013年

フルタ恭子

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