1146282_10151768438470630_860368748_o今回、岩手に1週間ボランティアに行ってきた。と言ってもアメリカの会社の仲間が行くというので、それについて行かせてもらった、というのが正しいかもしれない。結論として、ボランティアをして気づかせてもらったことが沢山あるし、もしボランティアをしたいけど・・・と踏み出せない人がいたら、是非行ってみて、と背中を押せたらと思っている。

会社にクリスチャンが多いということもあり、今回は3.11いわて教会ネットワークというボランティア組織にお世話になり、ボランティア活動に従事した。地域の子供たちと遊んだり、阪神のマット・マートン選手の仮設住宅に避難している方たちへお米を送るという活動の手伝い、ホタテの養殖などをしている方の作業の手伝いをしてきた。

今回ボランティアに参加するまで、自分が1週間手伝いをしても、何も変わらないんじゃないか、東北に住む友達もいるけれども、たった1週間のボランティアだけで彼らに向かって何か言えるのか、という恐れを感じていた。

実際今回参加して、最初のオリエンテーションで、復興支援にそれこそ骨を埋める覚悟で動いている人たちが大勢いて、そうした人たちが中心になって動いている何年、それこそ何十年というスパンのプロジェクトの中の、ある1週間に関わるんだ、という気持ちで作業してください、という話をされた。これまで関わってきたボランティアの流れを引き継いで、なにかちょっとでもよくして、次のボランティアにつないでいく。自分は大きな流れの中の一部を担っているんだ、と思えたら変な劣等感を感じなくなった。

会社にクリスチャンが多いので、被災地の牧師さんの支援活動を手伝ったが、彼ら自身も被災して、家も教会も流されて、自らも仮設住宅に入っているにもかかわらず、他の仮設住宅を回って支援活動に従事していた。

気仙沼からフェリーで数十分の島、大島でホタテの養殖の漁師さんのとこでボランティアした時のこと。家も浸水して、周りの家はみんな津波にさらわれてしまっていた。お昼に流しそうめんを振舞ってくれたり、作業が終わって、フェリーに乗って帰る時に、家の前の海を通ったのだが、おばあちゃん、おじいちゃん、お母さんとお父さんが自分たちのフェリーが見えなくなるまで旗を振って見送ってくれた。自分たちがしたことなんて、本当にちっぽけなものなのに、多くを失った人たちが、なぜこんなにも僕らに与えてくれようとしてくれるのか。なぜこんな優しいのか。嬉しく感じると同時に、自分の浅ましさがなんか情けなくなった。

今回自分が得たものといえば、もしボランティアに興味があるのなら、ぜひ行って見てきてほしい、と背中を押せるようになれたことだろうか。たとえ一日だったとしても、それは意味があるものだし、自分を見つめ直すことができる。特に震災から2年半近くが経ち、ボランティアも減っているということだった。そして被災地の方たちが恐れているのは、忘れられてしまう、ということと聞いた。精神的なサポートへとボランティアの必要性が増えてきているそうだ。もし、少しでもボランティアに興味があれば、是非1日でもいいので、参加してみてください。そして回りにその事を伝えて行ってください。1人1人の力は小さくても、その力がつながって行くことで、少しづつでも、状況はよくなっていくと思います。

2013年8月8日 竹生 泰之

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