Cover2 岩手には様々な独特の文化がありますが、ある日私はその一つを目の当たりにすることができました。東京行きの新幹線に乗り換える前に、お昼ご飯を食べていた時のことです。猛烈なスピードでお椀の中のそばをかきこんでいる男性の上からかがみこむようにして、給仕役の女性が素早い動作で、次々とおかわりのそばを投げ入れていきます。みるみる空のお椀が積み上げられ、彼がもうこれ以上食べられない!と降参するまで、その不思議な光景は続きました。後でそのユニークな行事が「わんこそば」と呼ばれること、そして最近のわんこそば競争の優勝者は、十分間で実に三百八十三杯ものそばを平らげた、と聞きました。わんこそばは岩手を訪れる多くの観光客に人気で、人々は自分が何杯食べたかを記録した証明書をおみやげにもらって帰るそうです。

結果を数えて

 二年間の岩手での復興支援活動も終わりに近づき、それまで延期していたアメリカへの一時帰国の準備を進めながら、私たちは普段の教会関係の奉仕とは異なった今回の働きのまとめをしようとしています。まるで二年間のわんこそば競争のようだった日々、その間に行なわれてきた様々な活動をどのように評価したらよいのでしょうか。今も私たちの前に積まれて、過去の多くの困難を思い出させる、それらお椀の山をどう数えたらよいのでしょう。
 こうした様々な問いについて思いめぐらしていますが、まずはシンプルに自分たちが配った山のような米袋を数えることから始めるべきでしょうか。配ったリンゴや電気毛布、何箱もの洗濯洗剤、ジュース、手袋なども数のうちに入れなければならないでしょう。又はいっそ物資ではなく他の分野に目を向けて、犠牲を払って私たちと共に働いて下さった何百人ものボランティアを数えるとよいのかもしれません。又は様々な仮設住宅を訪れながらコーヒーショップを開いた回数や、被災者の住まいを訪ね、挨拶し、支援物資を手渡した回数も数えられるかもしれません。「いっぽいっぽ山田」は、地域の人々の憩いの場となるようにと一年前にオープンした場所ですが、過去に何人の人々が訪れてくれたか正確に分かります。本間兄が詳細に記録して下さったおかげです。
 もっと霊的なものを数えるならば、手渡したトラクトの数、新たに始めた聖書の学び会の数、そしてもっと大切な受洗者の人数を数えることができるでしょう。こうして私たちは様々な多くのものを文字通りに数えあげることはできますが、これらの価値と意味は単なる数値で測ることはできません。

永遠を数えて

 この二年間で私たちの前に積み上がったお椀の持つ意味を評価しようとする時、私たちは神の数え方は私たちの数え方とは全く異なることを忘れてはならず、神のそのような見方を常に心に留めていることが大切です。「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです」(㈼ペテロ三・八)と私たちは教えられています。又、神は失われた一匹の羊を熱心に探し続けるよき羊飼いでもあります(ルカ一五・四)。さらに神は何億もの星々を一つ一つご存知であり、同時に私たちの髪の毛も、あらゆる砂浜の砂つぶの数もご存知の方です。それでも一羽のスズメすら神のお許しなしには地に落ちることがないのです(マタイ十・二九)。神は途方もなく広い全体と、一見何のへんてつもない個々人両方を全て一望のもとに、しかも時間を越えてご覧になれるお方なのです。
 私たち自身が経験したこと、そして共に働いた兄姉たちの数えられないほどの経験とは、とても複雑にからみあっています。それらをほぐして分けることも、それらの出来事にどんな意味があるのかを特定することも難しいと感じる時、これらの真理を心に留めておくことが大切です。幸いなことに、私たちは分けたり意味づけをしたりしなくてもよいのです。このような災害をお許しになり、又私たちをここに導いた神は、その御前に信仰の内に置かれたお椀を受け取り、永遠の御目的のために用いて下さることでしょう。このようにして私たち夫婦は、今は数え上げる時ではなく、むしろ立ち止まって神のご真実さゆえに感謝をささげ、今理解できないことについては、ただ神を信頼する時だと気づかされました。

無駄を数えて

 伝統的なわんこそばを見た時、最初私はショックを受けました。震災の被害に苦しむ岩手沿岸地域の日常とあまりにかけ離れて見えたからです。同じ県の他地域では、仮設の避難所が何とか食料を調達しようとしていた時に、そこでは食べ物を無駄にしているように思えてしまったのです。同じように、これほど大規模な災害においては避けられないことですが、緊急に手配された支援物資が無駄になってしまうこともあり、それを見て悲しく思うことも時折ありました。圧倒されるような状況の中、人々の状況は目まぐるしく変わり、その時々の必要は何かを見きわめようとしながら支援活動を行なってきました。しかしどんな状況でも人員、金銭、物資、時間などを最善に活用できたとは言えませんでした。
 しかし、文字通り根底から揺るがされたこの国で、キリストのからだである諸教会が多くの、そして驚くほどの行動を起こしました。そして今も日本の教会の中には力強い動きがあります。そして私たちも微力ではありましたが、そのような中で働くことができたことを心から感謝しています。又、多くの神の民が犠牲を払い、信仰をもって愛の行動や言葉で仕えてくれました。災害が起こるまでは見逃されがちであったこの地域に蒔かれたそれらの種が、決して無駄になることはないと私たちは確信しています。

未来を数えて

 一つまた一つと支援団体がその働きを閉じていき、被災地を訪れるボランティアの人数も減少し続けていますが、被災地には被災当時のままのものがまだ多く残っています。今も仮設住宅で暮らす何万人もの人々、部分的にしか修復されていないインフラ設備、依然高いままの失業率、家屋の基礎部分だけを残して手つかずのままになっている広大な土地は、なすべき仕事はまだ山ほどあるのだ、と無言の内に語っているかのようです。
 これら長期的な課題に対する関係省庁の対応が二転三転する間、神の教会と神の民の復興に対する取り組みは続いています。それは教会開拓の場合もあれば、慰めの言葉と行動をもって傷ついたコミュニティに静かに寄り添おうとする働きの場合もあるでしょう。十年後、一時期住むことが許されたこの岩手の地に戻る機会を神が与えて下さるならば、その時にはこの地で主によって変えられた多くの魂を、特にがれきの中から生まれた諸教会を見ることができるように、と私たちは願っています。今後OMF岩手支援プロジェクトは高橋牧師をリーダーとして、二〇一四年五月まで続けられます。他のボランティアやスタッフの方々と共に、チームは神の恵みと神のご栄光のために、さらに多くのお椀を重ねていくことでしょう。どうかお祈り下さい。

2013年9月 マイク&ロウィーナ・マギンティ宣教師夫妻
(『OMF宣教ニュース 2013年9月号』よりOMFインターナショナル日本委員会の許可を得て転載)