岩手の被災教会と地域を支援する教会・団体のネットワーク
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寄稿文

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時空を越えるネットワーク(若井和生)

柳田国男が遠野地方の民話や伝承を集めた『遠野物語』の中に以下のような記述があります。

釜石にも山田にも西洋館あり。船越の半島にも西洋人の住みしことあり。耶蘇教は密々に行われ、遠野郷にてもこれを奉じて磔になりたる者あり。

西洋人とあるのはキリスト教の宣教師でしょうか。山田には江戸時代にオランダ船の来航がありましたので、その時にキリスト教が伝わったのかもしれません。いずれにせよ三陸沿岸や遠野に、キリシタンたちが存在していたことをうかがわせる文章です。
江戸時代には九州などの西国から、たくさんのキリシタンたちが迫害を逃れて東北にやって来たことが知られています。彼らの多くは東北各地の鉱山などに潜伏し、その地にて宣教の働きを展開しました。その中には三陸沿岸まで逃げてきた方々もあったことでしょう。
彼らがどこからきた人々だったのか、どれくらいのキリシタンたちがその地に存在していたのか、それらを十分に裏付ける資料は今のところまだ見つかっていません。当時の信仰者たちの足跡は、人々の伝承の中に、ヒッソリと息づいているように思います。
東日本大震災の時、教会全体が津波によって流されてしまった岩手県で唯一の教会は、山田ハリストス正教会でした。ロシアからやって来たこの教会が、古くから三陸沿岸にあって宣教していた事実を、私たちはそのことを通して改めて教えられました。
ニコライ神父やその弟子たちが三陸沿岸を含む東北各地を歩き回って伝道したことが、ニコライの日記などによって明らかにされています。山田の教会はかつて200名を越える信徒を有していたというから驚きです。
記憶に新しいところでは、タマシン・アレン宣教師が久慈を中心とした地域にて、神の国の到来を告げ知らせたことが思い出されます。アレン宣教師はその地に教会を築き、さらに病院や幼稚園、学校や牧場まで建設し、貧困にあえぐ当時の久慈地域の発展に貢献されました。
それは福音を伝え、福音に生きる働きでした。アレン宣教師が久慈地方に行く決心をされたきっかけは、1933年に三陸を襲った昭和大津波だったと言われています。
1896年の明治大津波の際にも岩手県内の教会の牧師たちが協力して、三陸沿岸を歩き回り、支援活動に尽力しました。当時、水沢組合教会の牧師だった相沢乕次による詳細な記録が残されています。馬の背に支援物資を載せ、徒歩による支援活動でした。東日本大震災以後に始まり私たちにゆだねられた働きは、真新しい働きではないことを教えられます。それは先人たちの尊い働きに連なり、継承する働きです。
神の国が岩手に到来して以来、信じる人々の魂と生き方を通して、神の国は確実に築かれてきました。三陸沿岸地域においてもそれは同様です。それは必ずしも目に見える形としては残されていないかもしれません。しかし、人々の魂に刻印され、霊的な遺産となって、この地を潤い続けています。
東日本大震災後、日本中そして世界中からたくさんの方々が東北まで、岩手まで駆け付けて下さいました。世界中の教会が被災地の痛みを覚え、私たちのために祈って下さいました。それを通して私たちは、教会が空間を越えるネットワークであることを経験で知ることができました。
私たちはもう一つのネットワークも大切にしたいと思っています。それは時間を越えたネットワーク。この地にて信仰をもって生きて来られた先人たちに連なり、その信仰を受け継ぎ、継承するネットワークです。
時間と空間の両方をつなぐネットワークを築き上げることにより、私たちの働きは歴史を貫く神様の永遠のご計画の中にしっかりと位置づけられていくことでしょう。3・11いわて教会ネットワークの今後の拡がりと充実のために、続けてお祈り下さい。

2015年6月17日

広報担当 若井和生(水沢聖書バプテスト教会)

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